Aqua de Désert

彼らが「抗議」を受け入れた理由

小田嶋 隆

 ロンドンで起こった一連の暴動について、ニュース・メディアの扱いは思いのほか小さかった。
 ケーブルテレビ経由で配信されてくるCNNやBBCのニュース番組が、ほぼ一日中映像を流していたのに対して、日本のテレビの報道は、新聞で言うところの「ベタ記事」扱いだった。

 最近読んだ本の中に、米国における国際ニュースの現状を扱った記述があった。
 なんでも苦しい台所事情が続く米国のメディア企業では、リストラの第一候補に挙げられているのが、高コストの割に不人気な海外ニュース部門であるらしく、リーマンショック以来のこの数年の間に、全新聞の3分の2が、海外支局を閉鎖ないしは縮小する事態に追い込まれているのだという。おかげで、米国における国際ニュースの配信量は、9.11以降、国民の間に広まりつつある内向き志向の意識も手伝って、一貫して減少し続けているのだそうだ。

 もしかすると、日本のメディア企業の国際ニュース部門も同じ状況に陥っているのではなかろうか。
 調べたわけではないが、実感ベースでは、たしかに海外発のニュースが減っている感じはする。

 で、その代わりに、猟奇的な殺人事件や、幼児虐待の報道量が増えている気がする。
 幼児虐待そのものが増えているのか、報道量が増えているだけなのか、細かいところは調べてみないとわからないが、個人的には、その種のニュースが大きく扱われている影で、今回のロンドン暴動のようなニュースが片隅に追いやられている状況には、懸念を感じる。せっかく地デジ化できれいになったテレビの画面が、昭和のワイドショーみたいな扇情的なニュースで埋まるのはつらい。勘弁してほしい。

 もしかして、テレビ各社は、波及効果を恐れているのだろうか。
 前回触れたフジテレビの「韓流推し」に対する抗議行動が、ネット社会の一部で変な具合いに盛り上がった経緯もあることだし、それを思えば、現場が「暴動」や「デモ」や「集団行動」の報道に対して慎重になった可能性は捨て切れない。

 もっとうがった見方をするなら、ロンドンの暴動については、あえて視聴者を刺激するテの報道を控えるように、然るべきスジから通達があったという線も考えられる。どっちみち真相はわからないが。

 ロンドン暴動の背景については、分析する人によって見方がバラバラ過ぎて、正直なところ、私のような部外者には皆目見当がつかない。
 ただ、本質的な原因についてはともかく、略奪の勃発や他地域への波及の過程でスマートフォンが大きな役割を果たした点に関しては、専門家の見方はおおむね一致している。

 「単なる愉快犯」だと断定する人々もいる。
 つまり、ロンドンの各所で放火や略奪を展開していた連中は、暴動を起こすこと以外にさしたる主張も目的も持っていなかったというのだ。その意味で、今回の暴動は、集団行動を通じて何らかの変革を志向していた従来のモデルの政治的、宗教的、階級的ないしは人種的な暴動とはまったく種類が違う。言ってみれば、町の角々にいる不良少年たちが、たまたまスマートフォンという「集団化装置」を持っていたことで、些細な暴力が拡大しただけなのかもしれないわけだ。

 なるほど。
 この見方を全面的に支持するわけではないが、今回のロンドンの例に限らず、中東でも、アフガニスタンでも、その他の地域でも、21世紀の暴動の鍵を握っているのがガジェット(携帯型の情報ツール)である点は、ほぼ間違いはないと思う。

 日本でも同じだ。
 わが国の場合、ネット発の集団行動が略奪や暴動という形でただちに先鋭化するケースはいまのところ考えにくい。が、情報ツールが抗議行動を煽る傾向は、明らかに顕在化しつつある。

 21世紀の日本人は、前世紀の日本人とはまったく違う時代に生きている。なにより、われわれは、アジテーションのためのツールを一人一台ずつ装備している。とすれば、人々の好奇心に訴えるタイプの事件がこれまでの10倍の速度で野次馬を集めるようになることはもはや避けられない。20世紀の常識では、 75日で死滅していたはずのデマが、750日の寿命を持ったスーパーゴシップに成長することも、だ。

 私自身の話をすれば、私の周辺では、2009年の8月(つまり2年前)の当欄に書いた記事の余波がいまだに続いている。

 経緯は以下の通り。
1. 記事の中でオダジマが「ネトウヨ」について触れたことで、当時ネット内に拡散していた「ネトウヨのイラスト」の作者がオダジマではないのかという噂が発生。
2. 2ちゃんねるのいくつかの掲示板にオダジマ関連のスレッドが乱立。祭り状態に。
3. 翌週の当欄で、オダジマが「ネトウヨイラスト」とは無関係である旨を表明。
4. オダジマの否定コメントが受け入れられたかどうかはともかく、騒ぎは1週間ほどで収束。

 ということなのだが、この時に作成された大量のコピペネタのうちのいくつかは、今でも時々思い出したようにネットの各所に貼り付けられている。で、それを見て本気にした(のかどうかはわからないが)人々からのメールが、1カ月に何通か、私のメールボックスに届くわけだ。

「あんな悪意あるイラストを描いて、恥ずかしいと思わないのですか?」
「左翼思想を持つのは自由ですが、どうして陰湿な攻撃を繰り返すのですか?」
 非常に面倒くさいことだが、これは、私が何度否定してみたところで、もはやどうにもならない。

 99%のネット民は、作者がオダジマではない(画風を見比べてみれば誰にでもわかる)ことを既に理解している。が、それでも、PCを買ってもらったばかりの中学生は毎年新しくネットデビューするわけで、そういう子供たちのうちの何割かは、偶然目にしたコピペネタを本気にしてしまう。かくして、毎年同じ手口で繰り返されるカルト宗教の、さして巧妙でもない勧誘トークに、毎度毎度純真な大学1年生がひっかかるみたいにして、噂は再生産され、義憤に駆られた抗議メールもまた再生産されている次第だ。

 さよう。ばかばかしい話だ。
 私自身は、さすがに慣れた。
 丸2年も付き合っている以上、慣れないわけにはいかない。

 ちなみに言えば、件の「ネトウヨイラスト」の作者は、ほぼ割れている。さる業界人が私に直接話してくれたところによると、あの絵は、一緒に仕事をしたことのある人間には一目瞭然な画風を持つさるイラストレーターの手になる仕事に間違いないらしい。なにより書き文字の筆跡が一致するという。

 というわけで、業界的には既に一件落着しているのだが、ネトウヨの皆さんはこの程度の調査能力すら備えていない。だから、オダジマの疑惑も晴れない。もしかして、いま保育園に通っているぐらいの坊やが、10年後に、私のところに抗議のメールを送ってくるかもしれない。
「10年以上もネトウヨイラストをコピペし続けるって、いくらなんでも××××過ぎなんじゃね?」
 とか。
 もちろん返事は書かない。私は64歳になっている。生きていればだが。

 ツイッターには、今日も様々なデマが飛び交っている。
 だからツイッターがいけないと言っているのではない。
 デマを打ち消す情報を広めているのもやはりツイッターだ。
 その意味で、ツイッターは関わる人間が、きちんと向き合ってさえいれば、有用なツールであるはずなのだ。

 とはいえ、ネットメディアには固有の落とし穴がある。
 昔から言われていることだが、ネット上の情報は、テレビや新聞のような既存のマスメディア発の情報と比べて、自由度が高い。

 まず、双方向性を備えている。多様性も確保されている。それに、マスメディアの情報が一方的であるのとは違って、ネット上に偏在する情報は、受け手の側が、自分のほしい部分だけを選んで、自由にアクセスすることができる。この点が最も大きな違いだ。

 良いことずくめに見える。
 実際、良い面はたくさんある。
 が、長所は短所を含んでいる。
 情報収集において選択の自由が確保されていることは、普通に考えると、情報源の偏向を防ぐ効果を発揮しそうに思える。が、実際のところ、人々は、結局、自分にとって心地よい情報だけを集めるようになる。結果、情報にはバイアスがかかる。

 特に頑迷な人々は、認知的不協和をもたらさない情報(偏見を補強する情報)だけを選択的に収集する。
 と、偏見はいやがうえにも補強される。当然だ。
 ツイッターでも同じことが起こる。自分と反対の考えを持った人々をフォロワーから外し、不快なメンションをもたらす人間をブロックしているうちに、いつしか、タイムラインは、自分と似た考えの持ち主で占められることになる。

 狷介であったり偏奇であったりする人々の場合、その傾向はより強烈になる。特定の民族を排除する考えを抱いている人々は、お互いをフォローし合うことで情報交換をはかる。反対側の立場の人々もまた、反対側の論陣を補強するためにスクラムを組む。と、ツイッターの広い世界の中には、思いもよらないタコツボのような小宇宙が、無数に形成されることになる。疑似科学、ホメオパシー医療、カルト宗教、政治セクト、ネオナチ、オカルト妄想、幼児性愛、自家製乳酸菌による放射線浄化……といった、リアルな社会の中ではほとんどまったく仲間を見つけることのできないマイノリティーが、ツイッターのコミュニティーの中では、会話を交わし、友情を育て、偏見を助長し合って、行動の牙を研ぐことになる。こういうことを言うと、ネット規制を画策している政治家みたいな人たちが喜びそうで嫌なのだが、事実は事実だ。現実に、SNSはマイノリティを糾合する磁石のようなメディアとして機能しはじめている。

 陸前高田市の被災松を焚くかどうかで二転三転した京都の「五山送り火」の騒動も、「保存会」への抗議が発端だった。
 思うに、この種の「抗議」を活性化させる上で、ネットメディアは、有効な足場を提供したはずだ。

 どこの町にも神経質な人間はいる。不寛容な隣人やモンスター市民のたぐいも、当然一定の割合で居住している。
 で、ネットメディアが普及してからこっち、この種のクレーマーが、団結の場を持ち始めている気がするのだ。

 クレーマーは元来団結できる人々ではない。狷介で人を寄せ付けないからこそクレーマーをやっているわけで、そうである以上、クレーマーは他のクレーマーにとっても厄介な人格であるはずだからだ。

 しかしながら、SNSのユルい結合や、ネット掲示板のご都合主義なパートタイム団結ユニオンは、基本的には単独行動者である彼らに、絶好な連帯の足場を提供する。
 と、スタンドアローンだったプロテストたちは、連絡を取り合い、お互いを勇気づけ、集団心理を獲得することによって、より強力な圧力団体に成長して行く。

 「五山送り火」の「保存会」に電話をしてきた人々が、どんな言葉で抗議の意思を伝えてきたのか、私は、具体的なやりとりを知っているわけではない。
 が、「保存会」の人々が抗議を受け入れた理由については、ほぼ想像できる。

 要するに彼らは「面倒くさかった」のである。
 抗議してくる人間の話を聞いたり、彼らを説得したり、会見の場を設けたり、自治体の人間に報告をしたり、然るべきスジの人々の判断を仰ぐために根回しをすることが面倒で、だから、彼らはさっさと抗議を受け入れることにしたのである。

 五山送り火の問題がゴタゴタしている間に起こった「まんべくん」による不規則発言問題の経緯もおおよそ似たような経過をたどったのだろうと私は考えている。

 まんべくんがどんなキャラクターであるのかについてはウィキペディアを参照していただきたい。
 問題は、そのまんべくんが、終戦記念日の前日の14日、ツイッターで「日本の犠牲者310万人。日本がアジア諸国民に与えた被害者数2千万人」「どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまりです」と発言した。ことだった。

 記事によれば、この発言に対して、「町の公式見解なのか」といった抗議のメールや電話が500件以上寄せられたのだという。
 で、この抗議を受けて、長万部町は、町のホームページに謝罪の告知を掲載するとともに、まんべくんのツイッターアカウントを停止する旨を発表した。

 発言の内容をどうこう言う以前に、この種の政治的なコメントが特定の人々の反発を招くことは、小学生にだって想像のつくことだ。とすれば、公式キャラクターを名乗っている発言者が、こんなツイートをばらまいて良いはずはないし、抗議が集まったのはある意味当然でもある。

 ただ、抗議を受けて、長万部町が、まんべくんのアカウントを停止したのは、いかにも過剰反応だった。
 というよりも、あまりにもビジネスセンスを欠いていたと思う。

 まんべくんは、この戦争発言以前にも、数々の問題発言や毒舌を吐き散らしてきた名物キャラクターで、その意味では、お役所にとって面倒くさい存在だったはずだ。が、一方において、彼は、8万人以上のフォロワーをかかえる人気キャラクターだった。ちなみにこの8万という数は、長万部の人口(6346人)の 10倍以上であり、おそらく日本中のゆるキャラの公式アカウントの中でも最高位のフォロワー数であるはずだ。ということは、まんべくんは、小さな町にとって、貴重な観光資源だったのである。

 まんべくんの不規則発言は、言ってみれば彼の芸風みたいなもので、今回は度を越してしまったのだとしても、まったく更生の余地がないというものでもない。
 とすれば、何か独特な形で謹慎させるとか、ほかのゆるキャラ仲間(せんとくんあたりが適役かと)に叱ってもらうとか、菅総理にならって四国88カ所巡りをするのでも良い、とにかく、過ちは過ちとして、素敵な謝罪ができれば、再出発の余地は十分にあったはずだ。

 なのに、町は、あっさりと白旗をあげて、みすみすツイッター界随一の名物キャラを闇に葬ってしまった。
 なんとも残念な話だ。

 ネット経由の増幅効果を経ているとはいえ、クレームはしょせんクレームだ。苦情慣れしている組織や、苦情に対決するマインドを持った担当者がそれにあたれば、よほど悪質でない限り対応は可能だ。

 たとえば、雑誌の編集部や放送局のような言論機関の場合、抗議に屈することは、大げさに言えばメディアとしての死を意味している。
 だから、彼らは、自分に非が無い限り(時には非があっても)安易な謝罪はしない。

 20代の頃に、赤坂のラジオ局でアルバイトをしていたことは、以前にも書いた。
 そこで、私は、かなりの数の苦情電話を処理した。
 処理したといっても、何かをしたわけではない。話を聞いただけだ。要するに、苦情電話の9割以上は、実に他愛のない内容で、電話口に出た人間がおとなしく話を聞いていれば、5分でカタが付くのである。カタがつかなかった分は、視聴者センターに転送したので、その後どうなったのかはわからないが、なあにしつこいというだけだ。たいした内容があるわけではない。

 マスコミ以外の業界でも、そんなに事情は変わらない。しかるべき社会性を備えた企業は、必ずトラブル対応のノウハウを持っている。
 というよりも、たとえば接客業にとって、クレーマーは、むしろ既定の環境だ。
 でなくても、顧客と直接に応対する職場には、摩擦がつきものだし、トラブルや苦情も日常茶飯事だ。

 といって、トラブルは、必ずしも会社の生命力を奪うだけのものではない。
 トラブル対応は、ある意味では社員の教育にもなるし、トラブル対応を通じて培ったノウハウと根性(おそらく、大切なのはこっち)は、企業の財産になる。

 ところが、お役所や、外郭団体や、自治体や、財団法人のような組織は、トラブルに対する免疫をほとんど持っていない。
 それらの、売り上げや利益と関係の無い、直接に顧客と関係を取り結ぶ必要もない職場の人間は、クレーマーを過剰に恐れる。

 その種の職場の人間は、トラブルを処理することで顧客との関係を改善しようとか、苦情を解決することで、自社製品の信頼度を向上させようという回路でものを考えることをしない。ただただ、自分の任期を無事に、ノートラブルでやり過ごすことだけを考えている。そういう人々にとって、トラブルは、解決すべき課題ではない。単に逃げるべき厄介ごとであるにしか見えない。それゆえ、彼らは、苦情を聞くこともしないし、説得することもしない。ただただ折れる。なんとなれば、折れたところで、自分のふところはまったくいたまないからだ。

 まんべくんにはぜひ職場復帰してもらいたい。そして、ツイッターの失言トラブルを乗り越えた史上はじめてのハードボイルドなゆるキャラとして、全国の失言パーソナリティーに勇気を与えてほしい。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

彼らが「抗議」を受け入れた理由:日経ビジネスオンライン

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ロンドンにせよまんべくんにせよ炎上マーケティングが「俺流」だと主張するのを許してしまうのは違うと思うんだけどなあ。


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