「年齢別選挙区」で子どもの声を政治に生かせ
ドメイン投票より現実的。若さに応じて議席配分を
竹内 幹
ハンガリー政府が選挙の投票方法に関し、未成年の子どもを持つ母親に対して追加的に1票を割り当てることを検討していることが話題になった。子どもにも1票を認める「ドメイン投票」と呼ばれるものだ。少子高齢化が深刻な日本にとっても、政府の役割を考え直す契機になりそうだが、ここでは、ドメイン投票よりも効果の大きい「若者の意思を反映しやすい選挙権制度」について考えてみたい。
数千万円の借金を負わせる「財政的幼児虐待」
電車のなかで赤ちゃんを抱えた人が目の前に立っていても、お腹の大きな妊婦が立っていても、席を譲る気配も見せない元気そうな高齢者を何度も見かけたことがある。私自身、ベビーカーを押してエレベーターを待っていて、健脚な高齢者に横入りされた経験は数えきれない。こうした状況よりもさらに深刻なのは、社会保障における世代間格差である。
現在の高齢者世代は、年金や医療保険を通じて政府から多くの給付を受けているが、その財源は国の借金(国債)や現役世代が支払う税金だ。そのツケは若者世代やこれから生まれてくる将来世代に膨大な国債残高として残されていく。
内閣府の「年次経済財政報告(平成17年)」は、高齢者世代が生涯にわたってどれだけの税金を支払い、どれだけの便益を受けたかを計算している。それによれば、今の60代は差し引きで約1600万円分の純受益があったことになる。それに対し、今の30代が生涯に受ける便益を計算すると、実に約1700万円のマイナス(支払い超過)だ。これから生まれてくる将来世代は多大な国債が残されるので、生涯で約4500万円分の借金返済に追われるという。「財政的幼児虐待」といわれる所以だ。
第3次ベビーブームは起きなかった
急激な少子高齢化により歪んでしまった人口構成のもとでは、選挙で多くの票を投ずる高齢者に有利な政策が選ばれがちだ。いわゆる「シルバー民主主義」だ。国政選挙での投票箱を開けてみると、20代が投じた票はわずか9%で、50歳以上の票が過半数だ(図1)。
こうした状況で、75歳以上の人たちにかかる医療費を可視化する「後期高齢者医療制度」は「老人いじめである」と言われ、あっという間に廃止された。一方、少子化が深刻であるにもかかわらず、不妊治療や妊婦検診・出産では一部を除き健康保険は適用されないままだ。
日本の子どもの7人に1人は貧困状態にあり、経済協力開発機構(OECD)の30カ国中、12番目に高い。月に1万3000円程度の子ども手当はバラマキだと批判されるが、「世代間の助け合い」という美名のもと、賦課方式の年金制度は高齢者へのバラマキを続けている。その年金額についても、デフレでモノの値段が下がり続けていることに対応して、本来は減額される予定であった。ところが、政治判断によってその物価スライド適用は見送られている。そのツケを現役世代が負うにもかかわらずだ。高齢者政策は政治家たちが手をつけたがらない「聖域」なのだろう。
育児支援や教育は社会にとって極めて重要な投資であるが、その社会の意思決定が高齢者寄りになってしまった結果、少子化対策は完全に手遅れとなった。高度成長期以降に労働環境や経済情勢が変わったことに伴い、子育ての費用・便益構造も変化した。しかし、日本社会は高齢化に足をとられ、政策対応が後手にまわり、次世代育成の機運や育児フレンドリーな環境づくりにも失敗した。そして、第2次ベビーブーマーたちは30代後半となったが、第3次ベビーブームは全く起きなかった。
「子どもの数が足りない」のは「市場の失敗」
子どもが社会全体に便益をもたらすから、社会が子どもを必要としているのであれば、その子育て費用は社会全体でシェアしていかなければならない。社会が子育て世代(家庭)に「タダ乗り」して、子育て費用を親に押し付けている現状では、子育て世代は、社会が必要とするほどの子どもを作らないし、作れない。「子どもの数が足りない」のは、子どもが公共財であるがゆえにタダ乗りが発生していて、子どもが十分に供給されないからだ。
これは「公共財の過小供給」と言われる現象で、どの経済学の教科書にも「市場の失敗」の代表例として書かれている。そして、この場合、政府が子育て費用を肩代わりして経済を効率的にするべきだと主張される。
ただし、「シルバー民主主義」の現状では、そうした子育て費用を社会でまかなっていくことは難しそうだ。そこで、政治の流れを変えるきっかけの一つとして、ドメイン投票を取り上げる声がある。
親の声を政治に反映するドメイン投票
ドメイン投票は、子どもにも1票をみとめ、それを保護者が代理投票する制度だ。公共財である子どもの作り手(親)の声を政治に反映しやすくするものだ。 20歳未満は日本人人口の約18%を占める。この層が新たに国政選挙で影響力を行使するようになれば、選挙戦で子育て支援が前面に出てくるにちがいない。
しかし、今の日本の人口構造では、この投票のメリットは十分に生かされない。30年前には若年世代が多かったので、年齢別人口分布はピラミッドのような形をしていたが、現在の人口ピラミッドは以前に比べて大きく歪んでいる(図2)。65歳以上の老年人口は全体の約22%を占めており、2050年時点では、老年人口割合は36%になるとも推計されている。このような状況では、子どもにも1票を認めたところで「シルバー民主主義」の打開には至らないだろう。
子どもが持つ1票をだれが代理投票するのかという事務的な問題もあるため、ここでは、より現実的に「年齢別選挙区」を考えよう。
平均余命に応じて議席配分
通常、選挙区というと地理的な区分けが想定されている。各地方の選挙区から選出された地域代表を通じて、社会全体の利害を議会に反映させるシステムだ。しかし、社会全体の利害を汲み取るために、世代ごとに代表を選出してもいいだろう。0歳~30代の「青年区」、40~50代の「中年区」、60代以上の「老年区」のように分け、世代ごとに代表を選べばよい。そうすれば若者世代の声は「青年区」選出の議員が代表できる。
さらに、各世代選挙区に、その世代の平均余命(あと何年の寿命があるか)に応じて議席(議員数)を配分する。たとえば、いま25歳の人の平均余命は57 年で、55歳の平均余命29年の約2倍だ。そこで、20代選挙区には議席を多く配分し、その有権者1人当たり議席数が、50代選挙区の2倍になるようにする。若さに応じて1票に格差をつけるのだ。国政選挙はその国のあり方、数十年後の行く末を決める選挙である。その選挙結果の影響を数十年にわたって受ける世代こそが、将来を見通して責任をもって投票する当事者であろう。今後、50年、60年に渡って日本の将来を担う世代の声が議会に強く反映されるべきだ。
「1票の格差」が懸念されるが、移行期を除けば、生まれた年にかかわらず、どの人も生涯を通じて同じだけの投票力を持つので、生涯を通じた「投票価値の平等」は担保される。また、若者の影響力が過大になるというのは誤解だ。彼ら自身もやがては高齢者になるのだから、若者だけに都合の良い刹那的・利己的政策ばかりを支持するとは思えない。むしろ、孫のいない高齢者のほうが利己的な投票行動に走る可能性のほうが大きいと考えられないだろうか。
平均余命(厚生労働省の第20回完全生命表)でウエート付けし直した人口ピラミッド(図3)を見ると、30年前に日本社会が元気だった頃と同じような人口ピラミッドが再建できることにお気づきいただけよう。世代別選挙区と平均余命による議席配分は、社会の未来を担う若者世代に希望を与える選挙制度として有効である。
個人的には、子どもがもたらす社会的便益といった損得勘定ではなく、子どもの誕生を皆が心から歓迎する社会であってほしいと思っている。働く女性だけでなく、夫が自分の妻の妊娠・出産予定を職場に告げたときに、上司や同僚が嫌な顔をするような社会では、やはり子どもは生まれない。親族だけでなく職場や地域社会が子どもの誕生をともに喜ぶことができれば、少子化に多少は歯止めをかけることができるだろう。
「世代間の助け合い」を政府の年金制度に頼りすぎては世代間対立に陥ってしまう。そうではなくて、日常生活から人々が助けあっていく社会を目指していきたい。
–「年齢別選挙区」で子どもの声を政治に生かせ:日経ビジネスオンライン
選挙のあり方やら投票方法やらも試行錯誤していかないといけないのに硬直化して止まってる気はするよね
あ、画像についてはとってこれなかったんで、グラフ画像とか見たい場合は会員登録すると良いですよ
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